「Voice」2009年2月号 掲載記事
この非常時に「平時モード」の延長線!
渡辺 今回私は、裸一貫で行動を起こし、自民党を離党したわけですが、そのもっとも大きな理由は、この100年に1度という危機にあまりに"不感症"で、改革潰しに汲々とするだけの永田町、霞が関の政治をここで変えることができなければ日本は駄目になってしまう、と心底思ったからです。
いま日本が置かれている経済状況は、すでに未体験ゾーンに突入しています。昨年10―12月期の経済成長率は年率換算でマイナス10パーセントに達する、と民間のシンクタンクなどは予想しています。まさに尋常ではない景気の悪化で、景気後退ではない「本物の大不況」がすでに来ているのです。こんなときに麻生政権の下での政治体制は、完璧に平時モードの延長線。政策は各省丸投げ、政治は政局による国会の駆け引き、政権の最大の目的は政権自体を維持することになっています。そのあたりを国民に見透かされ、閉塞状況が生まれているのです。
私の離党について、「早すぎる」「1人では何もできない」「まるで政治の素人だ」など、ずいぶんと悪口をいわれました。いまのような状況であるからこそ、政治家の原点に立ち返り、国民の立場に立って、政治を国民の手に取り戻す運動を起こさねばならないと純粋に考え、行動したのですが、私の覚悟のほどが永田町にも「政治のプロ」にも全然理解されなかったのは非常に残念でした。しかし、それでも捨てる神あれば拾う神ありで、江田さんが現れて、「劇団ひとり」の状況は転換されました。永田町や国会の垣根を越えて、これから「脱官僚」「地域主権」「生活重視」のための国民運動を大々的に展開していくつもりです。
江田 政治家とは、自分の政治信条に基づき、政策を実現していくべきものです。渡辺さんはもともと、行政改革担当大臣としても、霞が関改革に大変な思いをもって取り組んでこられた。麻生さんに7項目の要求を申し入れて、その結果、自分がいちばん大事に思う政策が自民党内では実現できないと悟り、自民党を離れた。これこそ本来の政治家のあるべき姿だと思います。
渡辺 日本の「戦後レジーム」と呼ばれるものは、実際は戦時体制の下で確立したものが大半です。1930年代には世界大恐慌のなかで、各国ともに非常時対応を行ないました。アメリカもドイツも、ともに軍事費を拡張し、公共事業を行ない、福祉国家をめざすという「大きな政府」の政策をとっていった。日本もまさにこの時代、昭和恐慌以降に大正デモクラシーが破壊され、政党内閣制から、霞が関が政治を支配する官僚内閣制の「統制国家」に転換します。霞が関が民間をコントロールする天下りネットワークシステム、霞が関が地方を支配する中央集権体制といったものも、このような流れのなかで強化され、確立されていったのです。
この大きな政府路線は、アメリカ・ヨーロッパでは1980年代に新自由主義政策に取って代わられました。日本にもその流れはありましたが、官僚内閣制や官僚主導体制は厳然として生き残ってしまった。そうしたなかで、冷戦が崩壊して世界の大競争が起こり、真っ先にその競争から落伍し、「失われた10年」といわれるような時を過ごさなければならなかったのが、わが日本だったのです。
そして、昨年9月のリーマンショック以降、真正の金融経済危機が世界中を覆い尽くしています。まさに各国とも、次の未来を先取りした非常時対応策をとらねばならない時代に入りました。この非常時対応は、1930年代と同じではありえないでしょう。日本は、岩盤のように残っている官僚主導・中央集権体制の打破も、非常時対応とワンセットで行なわなければならないのです。霞が関が政治や民間、地方を支配している状態から、真の議院内閣制、地域主権体制に大転換していく。その方向性を、明確に打ち出すべき時が来たと思います。
江田 日本では、官僚が優秀な舵取りをしてきたといわれました。たしかに高度成長期には、欧米という手本がありましたから、「前例踏襲主義」しかできない官僚でも、日本丸の舵取りをすることができたし、官僚組織も有効に機能しました。ところが最近は、欧米も手本ではなくなり、日本丸は荒波のなかに漕ぎ出している。このような「教科書のない世界」は、官僚がいちばん苦手とするところです。おまけに渡辺さんがおっしゃったように1930年代から確立されてきた官僚組織は、もはや機能不全の極みにある。
もはや官僚は、日本丸の進むべきグランドデザインを描けない。だから、政治主導という当たり前の世界に戻るのです。匿名性で責任をとらない官僚に、日本丸の将来を任せるわけにはいきません。「政治家のレベルはどうか」という問題は別途ありますが、少なくともわれわれが選んだ代表者が、税金の使い道をはじめ、政治を決定したほうがいい。そのための国のシステムづくりを早急に行なう必要があるのです。
渡辺 このような非常事態に官僚主導体制をとるとどうなるかは、まさしく1930年代以降の日本の歴史が示しています。5・15事件や2・26六事件で政党内閣制が壊され、試験選抜エリートが一国の指導者になっていった。彼らは江田さんが指摘されたように、匿名性で責任をとらない体質をもっています。山本七平さんがいみじくも喝破したように、空気に流される行動をするのです。これがまさにあの時代における、日本の「失敗の教訓」です。
それを考えれば、この非常事態にあって官僚主導体制は、百害あって一利なしです。非常時対応のプランといっても何のことはない、各省、縄張り主義の下で平時モードの政策を予算を膨らませて手直しした、弥縫策でしかないのです。100年に1度の危機対応プランが必要なときに、小手先の対策でお茶を濁したら、国家は衰亡するばかりです。
このまま放置していれば、日本が次の時代には三流国家、四流国家に成り下がることは目に見えています。当然、われわれの子どもたちや孫たちの世代には落ちぶれて、社会保障制度も破綻して、競争力も失った、たいへん惨めな国家になっているでしょう。そういう転落の道を歩まないために、われわれはこの国に維新を起こそうとしているのです。
"いい子ちゃん"はもうやめよ
江田 まさにおっしゃるとおりで、財政出動にしても、いまは既存の政策の延長線上のものしか出ていません。この前の第2次補正予算でも、「埋蔵金」といわれる特別会計の利益剰余金や積立金をつまみ食いするだけで、全部出すわけではない。小出し、後出しです。
われわれがやるなら、まず埋蔵金が何十兆円あるかを全部さらけだす。そして「改革の果実還元基金」のようなものをつくり、そこに埋蔵金をはじめ、天下り禁止で出たお金や国家公務員の人件費削減分、国有財産の売却費用なども入れる。危急時ですから、ありとあらゆるお金を全部そこに集中させるのです。そのうえで失業者対策や医療、介護、年金、子育てといった生活回りに、そのお金を大胆に入れていく。
いま麻生さんがいっているのは、「3年後に消費税を増税する」というだけです。昨年の10月ぐらいには、「消費税増税の前に大胆な行革をやる」といっていましたが、口先だけで公務員の「渡り」1つ阻止できない体たらく。一方、増税したお金で具体的に何をやるかというと、「社会保障に充てる」という以上は何もいわない。本来、「後期高齢者医療制度はこうする」「基礎年金への税金投入はこうする」といった個別のメニューを確立し、そのうえで「財源がこれだけ足りないので、このぐらい上げます」といわなければならないのに、話が逆なのです。いちばんの危機のときに、そんな支離滅裂な政治しかなされないのは、本当に国民にとって不幸なことです。
渡辺 こういう非常事態には、100年に1度の政策として、「政府紙幣」という手もあります。日本銀行もピントのずれた政策をやりつづけていますから、「政府紙幣」を発行することで、政府自らがハイパワードマネーを供給し、そのお金を使って、非常時対応をやっていくのです。
そのような、反デフレ政策を推進するとともに、徹底した行政改革をやりつづける。それがわれわれの求める道です。麻生さんのように、「改革はやらない」「国債発行額は増やす」「ばらまきはやる」「そのお代の回収は増税で行なう」、そんな大きな政府路線の発想は、官僚内閣制そのものを肥大化させるばかりです。しかも、歴史に対して責任をとれない政治体制を増長させることによって、国家や国民にとんでもない悲劇をもたらす可能性が高い。
ですから私は、公務員制度改革を徹底して行ないたかったのです。1898年に山縣有朋がつくったとされる試験選抜エリート制度に抜本的なメスを入れ、幹部公務員は日本版政治任用にしていく。年功序列の旧体系にも風穴を開け、民間並みの信賞必罰が可能な給与法の大改正を行なう。そのために内閣人事局をつくり、内閣に国家戦略スタッフを置く。いずれ内閣予算局をつくり、まさに官邸主導型の体制を完成させたいと考えていました。しかし、麻生内閣が行なったのは、こうした方向性とは懸け離れたとんでもない骨抜きです。この経済危機を、消費税増税の格好の「好機」にしようという財務省の動きは、まさに象徴的です。
江田 いま日本社会全体が大変な危機感のなかにあります。唯一、危機感を共有できないのが霞が関であり、永田町なのです。なぜ国民の代表であるべき政治家が危機感を抱きえないかといえば、官僚べったりの政治活動しかしていないことがあります。当選したら官僚がレクチャーをしてくれて、そのとおりに動けばいい。しかし、このとき官僚は自分たちに都合のいい情報しかインプットしません。政治家のほとんどは、官僚の掌の上で踊っているだけです。僕も元通産官僚でしたから、官僚がやることはよくわかります(笑)。都合のいい情報を伝え、「これは先生だけにお教えしますが」とか「これは先生のアイデアとして使ってください」といえば、大物代議士ほど、あちこちの会議に出て宣伝してくれる。しかも政治家からすれば、橋や道路をつくるなどといった地元への利権誘導は、全部、官僚に頭を下げてやってもらっています。そもそも足を向けて寝られないところがあるのです。
麻生さんも、そんな政治家の1人だと思っています。政治家、とくに与党の議員は、政官業の癒着のなかに身を置いてぬくぬくと政治活動をするばかりで、「官僚主導の打破」という発想すらないのです。
いま自民党内で、「反麻生だ」といろいろな政策を打ち上げているグループがあります。政策を自民党内で打ち上げるのはいいのですが、それがいまの麻生政権で実現できないのであれば、渡辺さんみたいに党を離れ、自らの信条・信念に基づく旗を揚げるべきです。「私たちだけが自民党内の"いい子ちゃん"です」と言い募ったところで、有権者は選択できない。有権者は自民党か民主党か、その他の政党を選ぶしかないのですから。
自民党の延命に手を貸すつもりはない
渡辺 「自民が駄目なら、民主党に行けばいい」という人もいます。たしかに民主党の党内には、われわれと理念や政策を共にする人はたくさんいますが、しかし民主党のマニュフェストに道州制が入っているかというと、ありません。民主党のなかに、道州制に賛成の人は少なからずいるはずなのに、これもおかしな話です。そう考えたとき、いまの「自民対民主」という構図だけでは、国民の手に政治を取り戻す選択肢として非常に不十分です。われわれが第3極のアジェンダ(政策課題)を掲げることで、より国民の考えに近い政治状況をつくりだしたいと思うのです。
江田 選挙区で有権者の皆さんの意見を聞くと、「今度の選挙で絶対自民党には入れないけれど、かといって民主党には抵抗がある」という人がたくさんいます。私自身、民主党のばらまき的なところは、ちょっと気に食わない。高速道路の無料化にしても、聞こえはいいですが、通行料の代わりに税金を投入するということ。「40兆円の借金をどう返済するか」といった道筋も示していません。農家の戸別所得補償も、制度自体は否定しませんが、兼業で農業収入も少なく後継者のない農家まで補償するのか。どうしてそれが将来の農業の足腰を強くすることになるのかがわからない。
ただし天下りの全面禁止をはじめとする公務員制度改革法のように、「脱官僚」で共闘できる部分もある。われわれは理想を追い求め過ぎかもしれませんが、こうした政治家やグループが存在することも、来るべき政界再編のときに必要ではないでしょうか。
一方で、われわれの動きを、「自民党の延命に手を貸す別働隊になるだけだ」などとする意見がありますが、これはまったく馬鹿げている。
渡辺 おっしゃるとおり、私はもう自民党を離党しましたから、自民党の延命に手を貸すつもりはまったくない。志を高くもって自民党を離党し、われわれと合流したいという人があれば、理念と政策の一致を前提に加わっていただくことは、大いにありうると思います。
そもそも、現職の国会議員が5人集まれば政党は簡単につくれるのですが、われわれは、あえてそういう道はとりたくなかった。現職の国会議員だけで政党をつくっても、それは永田町だけの動きで終わりかねません。いまいちばんの危機は、政治が国民と断絶していることなのですから、ならば国民の立場に立った、政治を取り戻す運動体があってもいい。そう考えて、私と江田さんが国民のための政治を行なう「パートナー」となり、水先案内人となってくれる人たちにナビゲートしてもらいながら、サポーターを結集していく方法を思い付いたのです。これは日本の政治史のなかでは、きわめて稀なことでしょう。日本の政治は、まさにどん詰まりで、政党が機能不全で国民の声を吸い上げられなくなりつつある。その必然の結果として、こういうことをやらざるをえなくなったのです。
この運動体が大きなうねりになり、やがて解散総選挙に突入して、「国民の声をどのように反映させるのですか」と問われれば、そのときは運動体と切り離して、新党をつくるのも有力な選択肢だと思います。
草の根民主主義の壮大な実験
江田 とにかく国民は、永田町の論理や数合わせのゲームに辟易しています。なぜ世間の常識が、国会の常識にならないのか、と。そこでわれわれは、永田町や国会から飛び出し、直接国民に語り掛ける手法をとりたいと思っています。渡辺さんと僕は政治家だから、街頭に立つのはお手のもの。全国キャラバンをやってもいい。タウンミーティングもやりますし、シンポジウムやイベントもやってみたい。さまざまな手法を使って、どんどん国民の皆さんの声を吸収していきたいと思っています。
要は、偉い人が、どこかの会議室に集まって、政策提言するだけの会にはしたくなかった。「運動体」というのは、まさにそういう意味です。そういうなかで盛り上がっていけば、いまの政治を一変させる、大きな原動力にもなると信じています。
渡辺 アメリカのオバマ大統領の誕生は、アメリカの政治史にとって、きわめて画期的な大転換でした。これを支えたのは、まさにアメリカ合衆国国民の力です。とくにネットの威力には、大きいものがありました。いままで、ことに日本では、ネットというと、「一風変わった人たちの集まり」と捉えられる傾向がありましたが、われわれは真正面から向き合っていきたいと思っています。たとえば、いま国民から総スカンを食らっている天下りを容認する政令を撤回させるための署名運動を行なうのも、1つの手です。
こういう運動は、いままで国民の手の届かないところにありました。本来、国会は国民のために法律をつくるのが仕事です。しかし今回は、官僚専制内閣とさえいえるかたちで、国会のつくった法律を官僚が勝手に読み替え、覆すような政令を閣議決定させた。まさに麻生内閣が、官僚専制政治のお先棒を担いだとさえいえるエピソードです。こういうことに対し、国民の怒りの声をぶつける必要があります。
すでにわれわれのもとに、いろいろな声が集まってきています。「うちの地域でタウンミーティングをやってほしい」といった申し出も数多くあります。こういう声を、ぜひ結集していきたいと思っています。
江田 国民は、大手マスコミを代表とする永田町メディアのファインダー越しにしか、政治を見られなかった。そこにはバイアスがかかっているし、何があっても政局絡みの解説にしかならない。そうした記事を読ませられつづけているなかで、政治というものが国民に非常に歪んだかたちで伝わっていると思います。僕が渡辺さんと付き合ってわかったことは、「非常に純粋な人」ということです(笑)。そういう政治家がいることも、ちゃんと訴えたい。
アメリカをうらやましく思うのは、オバマもそうだし、クリントンもそうでしたが、草の根民主主義が根付いていることです。とくに最近は、ネットと連携して、ワンクリックで個人献金もできる。10ドル、20ドルベースで集められ、それでオバマさんは資金を集め、大統領に当選したのです。日本ではそうした草の根的なものは根付いていませんが、われわれの運動も、国民を主役の運動にしたい。タウンミーティングにしても、サポーターの皆さんが福岡でやりたいというのなら、福岡近辺に住んでいる人たちに、人集めをしてもらう。会場ぐらいはこちらで用意する。そんな手づくりのタウンミーティングにしていきたい。上から目線で押し付けるようなものには、したくありません。ネットを活用するため、「サポーター登録」といったものもしたいと思っています。これは日本政治史上の壮大な実験になると思います。
渡辺 いま霞が関が、日本中、至る所まで統制し、見えざるコントロールの網の目を張り巡らせています。何か新しい事を大々的にやろうとすると、必ずソフトコントロールの網にかかり、先に進めなくなる。この「霞が関ソフト支配」の構造は、自民党の長期政権と表裏一体のかたちになっています。ここでわれわれが事を起こせば、まさに自民党支配が壊れる。そのことに危機感をもった人たちがいま、なりふり構わず爆弾を仕掛けてきています。まさに「見えざる弾圧」といえるような、じつに巧妙な世論工作が行なわれているのを、ひしひしと感じます。
われわれが取り組もうとしているのは、この「霞が関ソフト支配」をはねのける運動です。たとえば江田さんがいったような草の根献金運動は、日本では成功したためしがありません。クレジット会社も協力しようとしません。その背景には、霞が関の見えざる統制があるのかもしれません。われわれはいまワンクリックで、ケータイからでもパソコンからでもクレジットカードで献金できる仕組みをつくろうと研究しているところです。
一方、地域主権の国づくりをするうえで、地域の首長や議員の方々の協力も不可欠です。このような方々にも広く結集を呼び掛けます。先日は大阪の橋下徹知事ともお会いしました。翌日メディアに漏れることまでは想定していませんでしたが(笑)。橋下知事とわれわれは、理念や政策ではまったく一致していると思います。ただ、現職の知事であるがゆえに議会対策もあり、当面は協力できないとのことでした。
しかし元首長さんなど、すでに議会とのしがらみのない方々もいて、彼らからの賛同も寄せられています。地方自治経験者の声は、地域主権を実現させる運動において非常に有益です。有識者や地方自治経験者には水先案内人として大いに参加してもらいたいと思います。
江田 地方自治の実態を知っているという意味では、現職にこだわる必要はありません。さまざまな地方自治経験者や有識者から、「参加したい」という声をいただいています。ナビゲーターとして参加いただいた文化人、知識人、経済人、首長、元首長といった方々には、都合のつく範囲で、ノーギャラでタウンミーティングに出向いていただき、対話集会を開いたり、シンポジウムのパネラーをやっていただきたいと思っています。
渡辺 政治運動を広げていくために、タウンミーティングのほか、ネット署名を呼び掛けたり、テレビ・活字など既存メディアを利用したりしながら、直接訴え掛けていく方法を考えています。一方で、地域主権型道州制の取り組みを手掛けている人たちが、全国に散らばっています。彼らが一カ所に結集しやすいような仕掛けをつくっていきたいと思います。1月26日には東京で、第1回目の集会が開かれました。これはわれわれからお願いしたのではなく、まさに自然発生的な動きで、本当に嬉しく思いました。
義命により改革を断行する
江田 草の根的に運動を広げるには、愚直に訴えていくしかありません。奇策などありませんから。それが心に響いて、「こんな会があって面白いよ」といったかたちで口コミで仲間が増えてくる。「みんなで何かやっていこう」と思えるような動きをつくっていきたいと思います。
現在は、1990年代初頭に日本新党ができたときのようなわかりやすい爆発力はありません。それでも国民のなかには、地底の奥深くに、静かにマグマが溜まっている状況といえます。ただ奥にこもっているがゆえに、なかなか外には出てこない。われわれの運動をきっかけにして、そうしたものがいっきに噴き出してくる可能性もあります。国民の皆さんは、閉塞感に満ち満ちたいまの状況を変えてほしいと思っていらっしゃる。自民党がどうした、民主党がどうしたというのでなく、「政治そのものを変えてくれ」というのが、国民の皆さんの声だと認識しています。われわれの運動が、1つのきっかけに、うまくなればいいと思います。
渡辺 改革の旗を掲げることに対して、「亡国だ」という声を上げる人もいるようです。しかし繰り返しますが、いま日本は、まさに国家存亡の危機に立っているのです。
私は自民党を離党するとき、「義命により」という言葉を使いました。これは「道義の至上命令」という意味です。じつは昭和天皇が出された終戦の詔勅のなかに「義命の存する所」という言葉が入れられるはずでした。残念ながらこの言葉は「時運の趨く所」という言葉に差し替えられてしまいました。このことを昭和天皇は、のちのちまで悔やんでおられたそうです。
昭和天皇の御心を忖度すれば、戦争終結の判断は「道義の至上命令」ということだったのだと思います。「いま戦争をやめることは、道義上正しいことなのだ。道義の至上命令の示すところによって終戦の道を選ぶのだ」という、積極的な御決意だったのではないでしょうか。一方、「時運の趨く所」となると、「成り行き任せ」という意味にしかなりません。戦時官僚内閣制が、戦後まで続いてしまったことは、まさに「成り行き任せ」の象徴的なエピソードのように思えてならないのです。
そして政治家にとっては、国民の真意に背かずに正しいことを行なうことこそが、まさに「義命」です。
江田 「改革とは何ぞや」というとき、よく「国民の手に政治を奪還すること」といいますが、要は「税金を奪還する」ということなのです。いま天下り先はだいたい5000団体あり、そこに2万6000人の天下り官僚がいて、12兆円の税金が投入されています。さらに特別会計や独立行政法人の埋蔵金が30兆円から50兆円あって、それが官僚の既得権益や天下りに使われている。そうしたお金を国民の手に奪還し、医療や介護、年金、子育て支援、失業・雇用対策に充てていく。これこそが、改革の本質なのです。
渡辺 われわれはまさにこの国家存亡の危機に際して、「国民の立場に立って、政治を国民の手に取り戻す」ことを原点として、改革を断行していかなければならないのです。
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