朝日新聞 11月17日 朝刊
変転経済22 金融危機(10) 96年秋「日本版ビッグバン」構想
証言: 破綻招き不況の引き金に
元橋本首相秘書官 江田憲司氏
橋本政権の経済失政は、97年の消費税引き上げなどで生じた9兆円の負担増だと指摘される。だが私は、経済失政をいうなら、不良債権の実態を把握しないまま大蔵省が主導する金融ビッグバンを受け入れ、97年11月の連鎖破綻を招いたことだと思っている。
山一証券の破綻が大きかった。北海道拓殖銀行が倒れたときは株価が上がった。本気で護送船団行政から決別しようとしていると受け止められたからだ。ところが山一がつぶれ、徳陽シティ銀行が破綻し、各地で取り付けが起きた。貸し渋りどころか資金がまるでとれなくなった。これが不況の引き金だった。
当時の経済指標をみると、98年1~3月から設備投資が激減している。消費税率の引き上げで97年の4~6月はマイナス成長だが、これは駆け込み需要があった1~3月の反動。7~9月期には個人消費も上向いていた。
金融ビッグバンはどこかでやらねばならない政策だった。橋本首相も、このままいけば円の国際的な地位がますます下がり、閉鎖的な東京市場はローカル化するという危機感を共有していた。が、大蔵省は不良債権の実態を官邸には伝えていなかった。不良債権額が公表額の3倍あると首相に聞かされたのは、98年に入ってからだった。
大蔵省にとって、金融ビッグバンの推進は組織防衛の意味もあった。財政・金融の分離論に対抗し、金融行政の重要性を示すねらいも込められていた、とあとから知った。
── 朝日新聞 2007年11月17日付 朝刊 ──
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