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朝日新聞(7/22)インタビュー記事「参院選のチカラ/問われる政権の信用性」

2007年7月22日 メディア情報 | 新聞・雑誌 tag: ,

参院選のチカラ 上  「問われる政権の信用性」

 「天下分け目の政治決戦」と与野党が位置づける今回の参院選。過去にも、投票結果で政権が退陣に追い込まれたり、逆に政権基盤を磐石にしたりした選挙があった。日本の政治を大きく動かした「参院選のチカラ」とは何なのか。当時を知る人たちに聞いた。

 ------ 自民党があれほど大きく議席を減らした原因は何だったのか

 一番の理由は97年秋の北海道拓殖銀行、山一証券の金融連鎖破綻で大不況に突入したこと。その責任を問われた。参院選期間中の恒久減税をめぐる発言が原因と言われるが、それは引き金。  あの時、遊説先での記者会見で「恒久的な税制改革をする」と言ったのに、マスコミが「恒久減税」と書いた。数日後、テレビ番組で「恒久減税とは言っていません」と説明したことで発言がぶれたといわれた。  その後、党執行部に見解をまとめさせたら、「恒久減税をする」ことになってしまった。遊説先でその文面のファックスを受け取った橋本さんは、移動する車の中で、ずっと窓の外を見ていた。  官邸主導で中央省庁の再編や金融ビッグバン、財政構造改革などの重要政策を打ち上げてきたのに、はじめて党主導で路線転換した。「この政権は終わったな」と僕も車の中で思った。

 ------ なぜ参院選の結果で首相が辞めるのか。

 「憲政の常道に反する」という意見もあった。でも橋本さんは、95年の参院選で自民党が不振に終わった後も総裁に居座ろうとした河野洋平さんに反旗を翻して総裁になった。自分が居座ることは矛盾する。だから、98年7月の参院選から逆算して、勝てるような政策を組んでくれと口癖のように言っていた。  開票日にマスコミの出口調査の結果が続々と入ってきた。直前予想では60議席前後だったのに、どんどん下がり、夕方には50を切った。夜、首相公邸の応接室に僕と官房長官と副長官の3人がいると、橋本さんが入ってきて「どうもありがとうございました」と一言。握手して終わり。あっさりしたものだった。

 ------ 世論は適切な評価をしたと思うか。

 適切だと思う。というのは、僕も橋本さんも政権運営の限界を感じていた。97年秋の連鎖破綻で金融パニックになってしまった。どんな手を打っても効かない。実は、橋本さんは98年1月ごろには家族に「辞めたい」と漏らしていた。  世間はよく見ている。不況の引き金を引いた橋本政権への根強い不信感がベースにあった。そこへ、構造改革路線を掲げてきたのに選挙のために恒久減税を決めた。信念はどこに行った、と。政権のクレディビリティー(信用性)が失われた。

 ------ 一つ一つの政策の問題ではないと。

 選挙とは一つ一つの政策ではなく、その積み重ねの中で醸し出されてくるクレディビリティーが問われる。一番よくないのは世間の常識が通用しないこと。橋本政権は(ロッキード事件で有罪が確定した)佐藤孝行さんを総務庁長官に入閣させてから、支持率が浮上しなかった。いま、安倍政権のクレディビリティーが、ものすごく厳しい目で問われている。


98年 第18回参院選
 7月12日投開票。5年ぶりに自民単独政権の国政選挙として実施され、自民は改選議席数61を大きく下回る44議席(追加公認含めず)にとどまる惨敗。村山首相の辞任後2年半政権の座にあった橋本首相は退陣、小渕首相が後を継いだ。


  ── 朝日新聞 2007年7月22日付 朝刊 社会面 ──

ブルームバーグ(7/20)インタビュー記事
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