「人間味 魅力だった」 北方領土解決に意欲
エリツィン前大統領は、ソ連崩壊後のロシアを率い、来日時には北方領土問題の解決に意欲を示すなど豪快なリーダーだった。日本国内でもゆかりのある人々がその死を悼んだ。(中略)橋本首相の秘書官だった江田憲司・衆院議員も「エリツィン氏は『ハシモトは話せる』と言い、橋本氏も対ロ3原則やユーラシア外交というメッセージを出した。歴代の首相で最も領土問題の解決に近づいた」と振り返った。
── 朝日新聞 2007年4月24日付 朝刊 ──
「友好の川奈 桜は今も」 抑留謝罪 勇気ある
23日に死亡が伝えられたボリス・エリツィン前ロシア大統領は、故橋本龍太郎元首相と親密な関係を築き、北方領土問題交渉などで日本に訪れていた。
通産省(現経済産業省)出身で、橋本氏の政務秘書官を務めた江田憲司衆院議員は「橋本さんとの関係は、ドイツのコール元首相の仲立ちで始まった」と明かす。
1997年のクラスノヤルスク会談では「初日の冒頭からエリツィンさんが『領土問題を解決したい』といきなり切り出してきた。それまでの首脳ではあり得ない態度で、橋本さんもびっくりしていた」と振り返った。会談の途中でエリツィン氏は数回中座し、当時から体調不良をうかがわせていた。
98年4月、エリツィン氏と橋本氏は静岡県伊東市の川奈ホテルで会談した。ホテルはエリツィン氏を満開の桜でもてなそうと、花が散らないよう敷地内に植えられていたソメイヨシノの木を、気温が低い天城山中に移して会談を待った。
ところが、会談は1週間延期。ホテルは代わりに八重桜で会談の会場を飾ったという。このソメイヨシノはホテル近くのゴルフコースに植えられ、「エリツィン桜」と呼ばれるように。また川奈ホテルでは、ちょうど行われていた結婚披露宴に"飛び入り"し、お祝いを述べた一幕も。
── 東京新聞 2007年4月24日付 ──
橋本氏と信頼関係
江田憲司衆院議員(故橋本龍太郎元首相の政務秘書官)の話
橋本元首相とエリツィン前大統領は、中曽根康弘元首相と米国の故レーガン元大統領の「ロン・ヤス関係」にも匹敵する個人的な信頼関係だった。クラスノヤルスク合意が行われた1997年は戦後に日ソ、日ロ関係が平和条約締結と北方領土返還に最も近づいた時期だった。当時、ロシア側から平和条約締結を持ち掛けてきたのには驚いた。今は北方領土問題は解決の糸口が全く見えない。隔世の感がある。
── 神奈川新聞 2007年4月25日付 朝刊 ──
「ロシアの改革に貢献」 政界に功績評価の声
ロシアのエリツィン前大統領が死去したとの報道を受け、政界からは「大きな変化のときにロシアの改革、安定に貢献した方。心からお悔やみ申し上げる」(北側一雄公明党幹事長)などと、同氏の功績を評価する声が上がった。
エリツィン氏は1997年11月、当時の橋本龍太郎首相とロシアのクラスノヤルスクで会談し、北方領土問題を解決して平和条約を締結するとした合意を交わすなど、日ロ関係の改善に意欲的に取り組んだことで知られる。
橋本政権で首相秘書官を務めた江田憲司衆院議員は「もう少し橋本政権が継続し、エリツィン前大統領も体調が悪くならず政権が続いていれば、違う展開になっていたかもしれない」と語った。
── 時事通信 00:23:43 ──
他、共同通信、スーパーJチャンネル(テレ朝)、スーパーニュース(フジ)等にコメント
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