朝日新聞 論より実行 財界ご意見番
元秩父セメント社長 諸井虔さん(06年12月29日死去 78歳)
財界の「論客」「ご意見番」と評されることが多かった。官僚、政治家、文化人と広い交友関係の中で学んだ「耳学問」で論が生まれた。書斎で沈思黙考するタイプではなかった。大学時代から付き合った元経済同友会代表幹事の牛尾治朗氏は「私が提案し、実行するのが諸井さんだった」と振り返る。論客というよりも、行動し、物事を動かす人だった。
沖縄の普天間基地返還問題でも諸井さんの行動力が発揮された。
96年2月18日、都内で大雪に見舞われた日曜日。秘書も連れずに一人で沖縄に飛んだ。那覇のホテルで待っていたのは大田昌秀沖縄県知事(当時)だった。
1月に村山政権を引き継いだ橋本政権にとって、沖縄の基地問題は重要課題だった。だが、橋本首相(同)は沖縄の本音を探りあぐねていたという。当時、首相秘書官だった江田憲司衆院議員は「外務省などからの情報ではなく、沖縄のナマの考えを知りたかった。その仲介役を諸井さんに果たしてもらった」と言う。
諸井さんと大田さんはホテルの一室で二人っきりで話しこんだ。
「最優先の課題は何ですか」
「普天間基地の返還です。ただ、代替施設を見つけるのは非常に厳しいです」
東京に戻り、すぐに橋本首相と会い、大田さんの思いを伝えた。それが米サンタモニカでの日米首脳会談での橋本首相の「普天間基地返還」発言につながり、基地返還交渉はやっと動き出した。
大田さんは「諸井さんは誠実な人でした。何かを画策しようという人ではなかった」と言う。内政、外交の大きな枠組みを理解し、自らの利害とは関係なくあるべき姿を探った人だった。
それは秩父セメント(現・太平洋セメント)という大きくはないが、名門企業のオーナーだからこその立位置だったのかもしれない。企業益を優先しがちな今の財界には少なくなってしまった経営者だった。
── 朝日新聞 2007年2月26日付 夕刊 ──
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