中央公論3月号 (2月10日発売) 「あえて無所属」は政党否定ではない ・・・・無所属議員は無力か、政界再編の触媒か
「あえて無所属」は政党批判ではない
中央公論3月号(2月10日発売)
無所属議員は無力か、政界再編の触媒か
国民は政党政治を批判しているのではない。理念・政策軸で違いのわかる二大政党が出来れば、政党への支持は回復するはずだ。そのために「自立した議員」の結集と行動が求められている
なぜ「あえて無所属」なのか
昨年、衆議院神奈川八区(横浜市青葉区・川崎市宮前区)の補欠選挙に無所属で立候補した私は、主婦や学生、市民活動家といったボランティアの皆さんの支援を得て、自民党や民主党の公認候補を破って、当選をさせていただくことができた。
選挙期間中、街頭で演説をしていると、通りがかりの一〇人中、七~八人の方が握手をしてくれたり、声をかけてくださった。その際よく言われたのは、「江田さん、自民党には絶対入らないでね」とか、「自民党に入らない一のなら一票入れますよ」というものだった。一方、「今まで私は民主党を支・持してきたけれど、(鳩山由紀夫氏が再選された)あの代表選とそれに続く幹事長人事に失望したので、今度はあなたに入れる」という声も多かった。有権者の皆さんの間に、大変な政党不信、政党の機能不全に対する憤懣やるかたない思いがあることを肌で感じた。自民党公認で敗北した前回とはうって変わり、ものすごい手応えのある選挙戦を戦うことができたのである。
私がなぜ、「あえて無所属」で立候補したのか。それは、政治家を目指そうとしたとき、現状では「胸を張って出られる政党がなかった」ということに尽きる。自民党はといえば、私がみるところ、その八割は抵抗勢力で、政官業の癒着や既得権益のしがらみを断ち切ることができず、構造改革の足を引っ張りつづけている。一方、野党第一党の民主党も、党内は、右から左の「ごった煮」状態で、国民の生命や財産を守る外交・安全保障といった基本政策すら一本化できない。このような政党に、この国を委ねるわけにもいかないと考えたからだ。
私は、もともと「構造改革論者」だ。以前、自民党公認で立候補したときも、「構造改革なくして景気回復なし」とビラに書き、ポスターには「自民党を変えなければ日本は変わらない」と朱書きするような、とても生意気な新人候補だった。と言うのも、橋本首相の秘書官時代、行革を担当させていただいた経験から、自民党の既得権益の岩盤を打ち砕かないかぎり、本当の構造改革はできないと考えていたからだ。だから、落選の一年後、「改革なくして成長なし」、「自民党を変え、日本を変える」という旗印を掲げて小泉政権が誕生したときは、わが意を得たりという思いだった。
しかし、それから二年近く経つが、残念ながら小泉改革は、きわめて中途半端で、かつ中身が伴っていない。あの頑固一徹、一言居士の小泉首相ですら、抵抗勢力の岩盤をうち砕けないという現実を見て、自民党を中から変えることはできないという結論に達した。これからは、三十代、四十代、五十代そこそこの若手政治家を中心に、新しい、しがらみのない国民本位の政党を作らなければ、との思いを強くしたのである。
無所属議員であるため、国会活動に制約があるのは事実だが、私がそれに不自由を感じたことはない。国会質問の時間配分が少なくても、政府にただしたいことがあれば、「質問趣意書」を出せばいいし、国政調査権にもとづき霞が関にはいくらでも資料要求をすることができる。国会質問がどれだけ政府の意思決定過程に影響するかという問題もある。むしろ表向きのやりとりより、これまで培った人間関係、-国会議員や官僚とのパイプ、さらには昔の秘書官仲間がそれぞれ各省庁の枢要な地位にいて、彼らから電話一本で情報を得られたり、アシストを受けられたりすることのほうが大きい。
また、超党派の議員運盟に加入し、議員立法を手がけるという方法もある。九割が政府提案、一割が議員立法という今の比率を逆転させていくことも必要だ。私もさっそくNPO議員運盟に入ったが、霞が関にいて百本近い法律を書いてきた経験から、お手伝いできることは多いと思っている。もちろん、本格的に政策を実現しようとか、法律を通そうとすれば、政権与党でなければならない。しかし、その置かれた状況は、他の野党議員とて同じことだ。
もっとも、それでは与党自民党の一回生や二回生が何をしているのかという思いもある。彼らは、大政党、大組織の歯車以上のことをしているのか。派閥に属し、国民とは関係ないところで、その雑巾がけ(雑務)を強いられているのではないか。私は幸い、二〇年間、首相官邸や霞が関で政治や行政の勉強をさせていただいた。法案の賛否も当然白分で決める。考えようによってはインデペンデント(独立)の私のほうがましかもしれない。衆参合わせて七二七人もの国会議員がいて、全員が同じような議員活動をすることはない。私のような議員にも、「あえて無所属」なりの存在理由はあると思う。
理念・政策軸が必要
かく言う私も、議会政治の基本はあくまで政党政治だと考えている。理想は二大政党だ。たた、今の政党が、国民の二―ズ、民意を本当に吸い上げているかというと、ノーだと言っているのである。自民党だ、民主党だといっても、その違いがわからない。それは理念とか政策軸で、一本背骨の通った政党ではないからだ。たとえば、外交・安全保障政策では「タカ派」と「ハト派」、内政、とくに行革では「大きな政府」と「小さな政府」というように、国民から見て選択肢となりうる軸がない。その一方で、自民党なら利益圧力団体、民主党なら労働組合というしがらみに足をとられて、国民本位の政策を打ち出せない。国民は政党政治を否定しているのではない。理念・政策軸で違いのわかる二大政党ができれば、国民はいくらでも政党に戻ってくるだろう。民主党が自民党に対時して、政権を獲得しようと思えば、自民党ではできないことを訴えることが必要だ。菅直人代表の持論である「政官業の癒着打破」を本気でやるのなら、企業団体献金は全面禁止して、国民の目を欺くような政党支部への抜け道的献金もやめる。さらには官僚の天下りも全面禁止する。これぐらいのインパクトのあることを内政の基本として打ち出せば、自然に国民の支持も集まるだろう。安全保障政策で言えば、民主党が集団的自衛権を否定し、「国連による集団的安全保障」に重きを置くというのも一つの見識だ。これに対し、自民党が集団的自衛権を認め、憲法改正も厭わずとなれば、国民の選択肢がはっきりしてくる。
政界再編―二つの可能性
政界再編というのは、言うは易く、行うのは難しだ。野党がいくら離合集散しようが、自民党が割れないかぎり真の政界再編はない。もし小泉首相が延命のために抵抗勢力と妥協し続けるようなことになれば、だらだらと、変わり果てた小泉政権が続いていく可能性も否定できない。そういうことになれば、いよいよこの日本も終わりだ。
民主党は今年も分裂含みで推移するだろう。さっそく米国のイラク攻撃への支援で、さらには北朝鮮暴発に備えての周辺事態法の運用や有事法制への対応で、大きな試練を迎える。とても旧社会党横路グループを抱えて責任ある対応ができるとは思えない。
一方、自民党は政権与党だから当面は割れない。しかし、九月の党総裁選で江藤・亀井派や橋本派が本気で小泉降ろしをやるなら、天王山になる。そのとき、小泉首相が、本当に「白民党をぶっ壊す」覚悟で、「この指止まれ」.で解散総選挙に打って出れば、「小泉改革派」か「抵抗勢力派」かという図式で白民党も分裂する可能性がある。そのときは、野党も含めた一大政界再編になるだろう。
もう一人、この頑迷固陋な政界に「喝」を入れられる政治家といえば、好き嫌いは別として、石原慎太郎都知事だろう。もし仮に、囁かれている石原新党ができれば、与野党から数十人規模で議員がついていく。そうすれば、その反動、反作用として、石原新党を嫌うリベラルな一方の極ができるだろう。なぜなら、石原新党は、国家観にしろ、外交・安全保障観にしろ、超タカ派、右寄り集団だからだ。そのときに、私を含めた若手の政治家が、うまい方向に既成政党を割れさせていく触媒役になれればと思う。今の私の位置は、自民党からも民主党からも等距離だから、小間使い的に動き回るのに適している。
「自立した議員」の結集を目指す
本当の構造改革を成し遂げるためには、過去のしがらみにとらわれず、自分の理念・政策をブレずに主張し当選できる「自立した議員」を、一人でも多く生み出し、また、結集していくことが課題となる。現在、七百人を超える国会議員がいるが、残念ながら、自民党や民主党といった大政党の看板、言いかえれば、各種団体や労組の支援がなければ選挙に勝てないという人が大部分だ。このような議員に、多くを期待しても所詮無理な話なのかもしれない。国会議員というのは、選挙に落ちればタダの人で、選挙がいちばん恐いという人種だから、目の前にそういう固定票があれば、それに目が向き、当選の暁には、その人たちのために働くというのは、ある意味で人情だからだ。郵政三事業の民営化にしても、自分の信念から身体を張って反対している議員は一握りで、あとの議員は選挙区向けのポーズとして一応反対してみせているだけだ。目先の確かな千票のため、それにおもねって発言、行動している議員がいかに多いことか。しかし、そんなに悲観的になる必要もない。確かにはじめは少数かもしれない。しかし、自立した議員が、「真に国民本位」という旗印の下に集まり、そこに国民の信があるとなれば、選挙に落ちたくない「その他大勢の議員」は自然と後からついてくるものだ。また、今は「自立」していなくても、前の参院比例選で初めて採用された「非拘束名簿方式」で、意外にも各職能団体代表の候補者の票が伸びなかったという現実を見て、勇気をもって「目先の千票」を突き抜ければ、その先に一万票があると考えはじめている議員もいるはずだ。そして、何よりも、「自立した議員」が、その初志を曲げず信念を貫いていけば、必ず、選挙で同志は何倍にもなっていく。三重や長野や宮城といった地方ですでに起こっている改革のうねりもあれば、知事連合といった、地方から中央に攻め上がる流れもある。国民の間には、すでにマグマが溜まりに溜まっている。これがいつ爆発するか、そのマグマの行き場をきちんとつくることが、私を含めた政治家の役割だと思う。幸い私は、首相秘書官当時、与野党の多くの議員とお付き合いをさせていただいた。だから、「自立した議員」の目星は大体ついている。今一人一人とお会いし、意見交換をさせていただいているところだ。
政界再編なくして構造改革なし
自民党は今、小泉首相という党の大勢と考えの一致しない人をトップに担いでいる。昨年末の保守新党騒ぎを見ても、理念・政策軸ではなく、議員の個利個略、選挙益で動いている。これでは、国民の政党不信が高まるばかりだ。
まず政党は、大所の政策を一致させる。そのうえで、個々の議員がある程度の小異を持つのは当然だ。私白身、かつて自民党公認で立候補したときも、選挙前につくられる分厚い党としての公約集と、自分の選挙公約をいちいち一致させられるわけがないと思った。政党の中に議論の場があって、そこで収斂させ最終的には従うというシステムがあればいい。今の政党は、大所の考えが違う人が一緒になっているというところが問題なのだ。
私は先の選挙で、「あえて無所属、政界再編!」を旗印に、「企業団体献金は将来にわたって受けない」、「利益圧力団体の推薦も一切受けない」、「今の自民党や民主党には入らない」と公約した。それが「自立した議員」の必要条件だと考えたからである。そして、目指すは「政界再編なくして本当の構造改革なし」、そして「構造改革なくして本当の景気回復なし」。来年の今頃は、志を同じくする若手政治家とともに、新しい政党の江田憲司で、しかも与党として政策を実現できるポジションにいたいと願っている。
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