夫婦の情景 ―浮沈を乗り越えて誕生した 庶民派代議士の「晩婚の妙」― 週刊朝日 [17/Jan/03] P.70~73 夫婦の情景 150 より
橋本内閣当時、「ミニ橋龍」の異名をとった「名物」秘書官の夫は四十四歳まで独身。テレビ局政治部記者の妻と結婚したときは無職、無収入の「プータロー」。「エリート中のエリート」と思いきや、実は「庶民中の庶民」で家や車などの資産はゼロ。「ずぼら度が同じの夫婦の夢は「マイホーム」だという。
★江田憲司(46)衆議院議員 ●江田弥生(33)TBS勤務
父の条件
★結婚したときはまったくのプータローでした。選挙に落ちて捲土重来の時期でもなく、大学で教えるめどもなかった。彼女のお父さんにはよく了承してもらったと思います。
●無職、無収入ですが、お嬢さんをいただけませんかと挨拶されて、父は感激していた。
★一つ条件がありますと言われて身構えました。そしたらうちにはお金がありませんから選挙の支援はできないと。
●そのときは、また政治家を目指すかどうかもわからなかった。でもこの人は何かの職業で収入は得られるだろうと。私も働いてましたし。ほんと、プータローと結婚したんですが、不安は感じなかった。
★僕の両親は三十五までは結婚しろとうるさかったですが、それ以降は諦めていた。
●江田の母はおもしろい人で、いつまでも独身では体裁が悪いから、ご近所にはもう結婚して子供もいると言ってたらしい。だから私との結婚が新聞に出て大変だったようです。
意外にオクテ?
★結婚したら浮気はしないと決めていた。だから浮気したくなるような女性とは結婚しないと。役所の先輩とか政治家の娘とか見合い写真はいっぱい来ました。その中で会ったのは五、六人です。
●テレビに某経済界の大物や政治家が映ると、この娘との見合い話もあったんだと。
★橋本龍太郎さんの娘?それは根も葉もない噂。だって中学生でしょ。結婚相手は、二十代はルックスにこだわりましたが三十代後半からは波長や性格が合う人がいいと。
●もてる人というのはまめできっかけも自分からつくる。でもそういうところはシャイ。四十四まで結婚しなかった理由がわかります。
★僕、オクテですから。
●意外にそうなんですよ。
秘書官時代
●最初に会ったときは官僚っぽくない人だと思った。官邸にいる人とはカラーが違った。
★よく新聞記者と聞違われました。僕はかわいい子が入ってきたなと。休みなしで遊べない僕らの楽しみってそういうことしかない。総理秘書官時代、ある時期から急にいろいろ書かれましたが誹謗中傷の背景は察しがついてます。
●書かれたものを読むと、ほとんどが態度がでかいと。口調がきついし政治家の人にもはっきりものを言うから。
★鼻っ柱が強いのは事実で、敵もいると思います。でも行革当時の戦友とはずっとつながっていて、橋本政権が終わってプータローとしてハワイに渡ったときも選挙に落ちてまたプータローに戻ったときも精神的に支えてくれました。
ずぼら度が同じ
★独身が長かったから生活パターンが合わないんじゃないかと恐れていた。でもお互いにアバウトだから。彼女は キャリアウーマンっぼかったけど今ではちゃんとご飯作るし、やっぱり女だったんだと。
●私には持論があって、結婚生活がうまくいくかどうかは、ずぼら度が同じかどうかで決まる。家の中がこれくらい散らかっていても平気とか、休みの日は昼まで寝ていてもいいとか。それが合わないと潜在的な不満になってしまう。
★彼女は僕と似ていて何でも口に出して言う。夜はお互いの一日の報告会ですからとても浮気なんてできませんよ。 彼女の性格が男性的だから気を使わなくていい。泣いたりするような女っぼい人はちょっと苦手かも。愛してるとか好きだなんて口に出して言いませんよ。テレます。
結婚したから?
★補欠選挙のときは、彼女は最初、否定的な反応だった。
●反対でした。政治家になるって大変なことだから。
★選挙は主婦や学生といったボランティアによるもので、いわゆる組織には頼っていない。だから自民党とか政党の 組織選挙の大変さはなかった。
●私も政党侯補の奥さまがやっていらっしゃるようなことはしていません。
★前の選挙のときは「やっぱ り独身だからダメなのよ」という主婦層の声があった。社会的に一人前じゃないから不安という印象を与えると。昨年当選したときは「結婚したからよ」と言われました。
資産ゼロ
●仕事をどうするか考えたんですが、江田は無所属の議員 なので政党助成金は得られず、企業や団体献金は受け取らない方針でやっている。だからお給料は事務所の運営費用などに充てざるを得ない。そうなると生活のこともあって。
★それより僕が次の選挙で落ちたらまた無収入になる。だから働いててもらわないと。僕は家や車、ゴルフ会員権、株をいっさい持っていない。国会議員の資産公開のときはゼロ。普通預金はありますがそれは対象外だから。物に執着がないので総理秘書官になるまでは家賃六万円のワンルームマンションに住んでいた。
●私もやはり賃貸で赤坂のワンルームでした。
★びっくりしたのは彼女にはほとんど貯金がない。テレビ局ならある程度の収入はあるはずなのに。気前がいいんですね。男にもおごる。結婚して浪費している節はないけど家計簿つけるタイプじゃない。
区民健診
★国会議員になるまでは毎晩子供をお風呂に入れておむつも替えていた。もともと子供は好きで、やっぱりかわいいですよ。このあたりは保育園の数も足りないから父親になってからは選挙演説でそういうことも訴えるようになった。
●父親になって辛抱強くなったかもしれない。家事は手伝ってくれません。うちが汚くても文句は言わないかわりに 自分から片づけることもない。
★僕が朝早いときでも彼女が果物の皮をむいてくれたり。出かけるときに起きてこなくても夜帰ったときに寝ていても、僕はかまわないんですが。
●あまりにも健康管理に無頓着だから私が気を使います。病院にも行かないから区民健診を無理やり受けさせました。
<庶民感覚/h4>
★今はエリート受難の時代です。特に選挙ではプラスになることはない。東大卒の学歴も鼻につくとか冷徹で庶民の心がわからないように言われる。実際、僕はエリートじゃないですよ。父親は警察官で老朽化した官舎に住み、おふくろは内職もしていた。塾にも行かず、お金のかからない公立から国立大学に進んで奨学金ももらっていた。官僚から橋本内閣という政治世界を覗くことができたのは感謝しているけど、四十六になって家も何も持ってない。僕自身は庶民中の庶民と思っている。だから田中真紀子さんが「主婦感覚」というとカチンとくる。あんな大御殿に住んでいるわけだから。自分の子供には学歴にとらわれず、スポーツでも何でもいいから自分の特性を生かしてほしい。
●二人でスポーツ観戦してると、スポーツ選手は人に感動を与えられるから羨ましいと。
★大学に入った年に小椋佳のコンサートを聴いてこの人は幸せだと恩った。僕を含めて聴衆を感動させることができ るから。自分もこういう人生が送れないだろうかと思った。
運命論者
●江田は裏表がなく嘘がつけない人。政治家にありがちな腹に一物あるタイプとは対極 にいる。だから何かを企んだりして、したたかに生きるということができない。
★それが弱みでもある。全部言っちゃうから駆け引きができないし、お世辞も言えない。 僕は運命論者で、そのときどきで全カを尽くしていれば必ず運命は開けると思っている。
●私は政治記者としていろんな政治家を見てきた。周囲の人は耳の痛いことを入れなさすぎると思ったから、私はあえて言います。
★身近に批評家がいるのはありがたい。確かに耳の痛いことしか言いません。僕も橋本龍太郎さんに嫌な顔をされても耳の痛いことを言ったので、立場が逆になれば言ってもらえるありがたさがわかる。彼女にどう言われても、わが道を行くところはあるけど。
帰巣本能
★独身だと夜帰ってきたときに寂しいでしょとよく言われ ました。全然そう思わなかっ たけど、今は帰ると彼女と子供がいる。帰巣本能がよみが えった感じでマイホームっていいなと。
●私はクリスマスや大みそかを家族と過ごすっていいなと。
★ある程度経験を積んだうえでの結婚だから多少のことではじたばたしない。彼女の生 き方や行動には踏み込まない。
●政治家になるのは反対でしたが、この人の人生だから、決めれぱ私も協力する。私の 職場復帰も私の人生だからと。奥さんが働いてるなんてとんでもないと言う政治家の方もいるかもしれないけど。
★夫婦がうまくいく秘訣というのは結婚前から存在する。結婚してから相手に合わせているようでは破綻がくる。
●年とともに価値観が固まるから結婚に辿り着くまでは難しくても結婚したら間違いはない。若いときのように勢いでしたわけではないから。
★僕は賛沢な結婚像を思い描いていたわけではない。本心から結婚したい人と、という願いはかなえられた。だから離婚は想定していません。若いころ、ダメなら離婚すればいいから早く結婚しろと言われましたが、それは違うと。
●今、ほしいのは家と車です。
★家はほしいですね。国会議員にさせてもらって職も見つかったことだから。マイホームは男の甲斐性ですよ。
夫は岡山県生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。卒業後、旧通産省入省。 ハーバード大学国際問題研究所フェロー、経済協カ室長などを経て、橋本内閣発足時には官僚としては異例の抜擢で総理大臣政務秘書官となる。橋本内閣総辞職と同時に退職。「天下の素浪人」となり、「人生のリセット」のためアメリカ国立ハワイ大学東西センター客員研究員として一年間ハワイに滞在。帰国後、自民党から総選挙に立候補するが落選。桐蔭横浜大学教授、早稲田大学教授となり昨年、衆議院神奈川八区補欠選挙で無所属で出馬して当選。
妻は兵庫県生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業後、TBS入社。社会情報局を経て政治部記者となる。
出会いは九六年夏。夫は総理大臣秘書官、妻は総理番記者で、取材の挨拶に官邸を訪れる。妻から見た夫の第一印象は「上着を脱いでニコニコしていた」。夫は「僕を見てにこっと笑った」。しかし個人的な会話は交わさず、取材をする側とされる側のけじめのため、夫は食事にも誘わなかった。
総理秘書官時代に夫は行政改革をめぐって政治家と激しくやり合い「ミニ橋龍」「官邸の森蘭丸」と揶揄されたこともあった。
再会は二〇〇〇年、夫が落選後の残念会。話が弾み、二人で食事に行くようになる。同年秋に妻の両親に挨拶、年が明けて結納、二月にハワイで挙式という「トントン拍子」。挙式の列席者は親きょうだいのみ。披露宴はなく、はがきで結婚を報告するだけの「ジミ婚」。
新婚生活は夫の賃貸マンションでスタート。結婚の年に長男誕生。妻は昨年十二月まで育児休暇をとり、今年から職場復帰。少子化の時代に反して子供は「将来的に三人」ほしい。
昨年の選挙は政党色を排したボランティア選挙。夫は立候捕の際、「将来にわたり、企業・団体献金は受けない」などを訴えた。当選後は、しがらみのない若手政治家を中心に政界再編をめざす。マイカーも持たず、国会などの移動は電車を利用。
夫婦共通の趣味は食べ歩き。夫は家で大好物のラーメンを作るだけで料理は妻が担当。夫はスキー、ゴルフなどのスポーツも。妻は十代で宝塚歌劇団を受けたほどのミュージカル好き。
夫の著書に『誰のせいで改革を失うのか』(新潮社)、『首相官邸』(文春新書)などがある。「サンデー・ジャポン」(TBS系)にもレギュラー出演。普段の服は自分で選ぶが、テレビ出演のときは妻がアドバイスすることもある。
【カップル史】
●1996年 首相官邸で出会う
●2000年 夫の落選残念会で再会
●2001年 結婚、長男誕生
●2002年 夫が衆議院補欠選挙で当選、国会議員となる
構成/谷口桂子
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